2007年5月26日土曜日

いってきます

これからドラマのロケでパプアニューギニアに行ってきます。かなり気が重い。 日本が大好きな僕は、海外にあんま興味がなくてね。海外旅行なんて 行きたいとも思わなかったし。ましてや、パプアニューギニアなんて、想像もつかない。仕事だからしょうがないけど。
味噌汁、納豆、牛丼、コンビニ、ドンキホーテ。無いだろなぁ…。ネットも駄目らしい。戦争ドラマで密林にも行くらしい…。
以前、ウルルン滞在記の面談で、あまりに出演する気力がなくて、パッとしてなかったら、先方のプロデューサーが“キタムラさんは、お芝居がお好きなようですね…”とフォローしてくれました。
“はい!”


パプアの大地よ人々よ、どうか僕に優しくしてください。

2007年5月21日月曜日

take1

都営地下鉄に乗ってロケ現場へ
浅草駅で人の並がどっとそのまま降りていく
そういや三社祭だわ
お祭り騒ぎの地下を、そっとそのまま抜けていく
しばらくたってパーっと明るく地上に浮上
雲が一つもないじゃんか
祭り日和だ、あぁ日曜
駅から河川敷沿いにぶらぶら徒歩
少年野球、サイクリング、犬の散歩、あぁ日曜

現場に到着
おはよーございます
ちょっと、おしてます しばらくお待ち下さい
はーい
先にメシ休憩入ります
はーい

今日は炊き出しメシです
わーい

気持ちのいい屋外で昼ごはん
おいしー、あぁ日曜び~
メシ後になり
そろそろスタンバっといて下さい
はい

キタムラさん入りまーす
おはようございます よろしくおねがいしまーす

監督と共演者と軽い打ち合わせ
うんうん、はい
何度かリハーサル

じゃ、本番いこう

カメラ回りました

また芝居が始まる僕がいた


よーい スタート

2007年5月13日日曜日

ご報告 2

昨日、式場で挨拶させてもらいました。恐縮ですが、その弔文を投稿します。


本日は亡き父北村和夫の告別式に足をお運びいただき誠にありがとうございます。

遺族代表として私、長男の北村有起哉が御挨拶させていただきます。

父は先月二十日、軽い脳梗塞で倒れ、入院いたしました。その後、順調に快復し、家族も少し安心しておりました。ところがリハビリが本格的に始まろうとした今月二日、肺炎を併発し、容態は急変いたしました。
父は今まで幾度となく、様々な病気と闘い、そして克服してきた男です。だからこの状況でも、持ち前の強靱な体力で必ず元気になってくれると信じていました。
しかし、四日後の五月六日の朝、私どもの願いも虚しく、家族に囲まれながら、父は永眠いたしました。享年八十歳でした。

役者という仕事は肉体労働だと思います。最後の最後まで現役であり続けた父は、身体のあちこちに故障を抱えていました。特に心臓はかなり悪く、医者からも、あまり負担をかけないように言われていたようです。
あらゆる感受性を駆使し、時に激しく、時に穏やかに、めまぐるしく心情を変化させるのが役者だとすれば、父にとって演ずることは、寿命を縮めることと背中合わせだったのかもしれません。
医者に注意されても、それでも父はおそらく、一つ一つの仕事に、心を込めて役に取り組み、やはり心臓を酷使していたのだと思います。
もちろん、健康に気を付けて欲しいと思っていましたが、かといって、ハートのない芝居をする父なんて観たくなかったし、想像もできない。家族としては複雑な心境でした。

その家族の中で、父親としての顔を思い出すと…、実はあまり記憶にありません。オヤジは放任主義で、私達子供三人の学力や進路に口を挟むこともありませんでした。僕が役者を志した時も、賛成も反対もせず一言、“おぅ、そうか…”と。
父の無言の背中から感じたのは、“とことん楽しく自由に生きろ、ただしそのぶん頑張れ”ということです。親父の芝居を通して教えてもらった宝物だと思ってます。
それでもたまにボソッと、“普段の時ほど大切にしろよ”と言ってました。稽古中でも、芝居の最中でもなく、それ以外のなんでもない普通の時こそだぞ、と。この漠然としたアドバイスは、これからも常に心に引っかかっていくと思います。
父親の思い出…。日曜日のキャッチボールとか連休の家族旅行とか、ほとんどありませんでした。が、いま北村和夫を失い、少しずつ父親像が浮かび上がってきてる気がしてます。やはり“普段は一人の父親だったんだ。”と。そんな心地で胸が熱くなります。

父は、我が道を貫き通しました。見事に、そこにあった役者という人生を全うしたんだと。父を誇りに思います。個人的には、僕も役者の端くれとして、父のように生きてやるつもりです。

あまりに突然の死で、正直、まだ信じられないのですが、でも、人生を全うした父を、堂々と、晴れやかに送りたいと思います。
もしかしたら、この式を待てずに、食事制限のない天国で、ムシャムシャ、ガブガブしてるかもしれません。


父は声が大きかったので、サイゴに僕もデカイ声で失礼します。
オヤジ、昨日も巨人勝ったぞ、いままで素晴らしい芝居をありがとう、オヤジの千秋楽は無事に終わったぞ、本当におつかれさまでした。


本日はご参列していただき、誠にありがとうございました。

北村有起哉

ご報告

おかげさまで、昨日、父の告別式を無事に済ませることができました。
葬儀にあたって、未熟な自分にたくさんの方々から、助言・助力を賜ってとても救われました。親族・知人・関係者各位にあらためてお礼申し上げます。そして御参列して下さった方も、そうでない方も、父の死に悼んで頂いた方々のたくさんのお心に、感謝いたします。

本当にありがとうございました。

有起哉

2007年5月8日火曜日

オヤジ おつかれさま

もっと、もっとな役者になりたいから、
こういうときこそ、しっかりするぞ、という演技。

だって、これからも目標は変わらない。オヤジという役者が大好きだったから。

もっと頑張るわ。
天国のオヤジに向かって約束する。


千秋楽は無事に終わりました、おつかれさま
やすらかに眠ってください

今まで本当にありがとうございました


ムスコより

2007年5月1日火曜日

床ずれ Birthday

おかげさまで先日、無事に千秋楽を迎えることができました。
やっぱり、気が抜けてグロッキーしてたあん。
打 ち上げも盛り上がり自宅へ帰り、ずっと寝ててねぇ。 もうね、なんか体が鉛のようで、29日・30日はほとんど横になってました。水飲んで、オレンジ ジュース飲んで、トイレのために目がさめて…。うへぇー、33歳の誕生日じゃん! まぁ、いいか、メリハリメリハリ。でも廃人のようにしてたら、床でグラ グラ床ずれ発生。おー、1つ歳くってさっそくの現象。

『CLEANSKINS/きれいな肌』
無事におわりました。
今回の舞台は間違いなく、これからも続く役者人生のなかで、忘れなれない作品になりそうです。そのくらい、すべてが恵まれていました。

新作で僕たちに、力強い作品を書き下ろしてくれた、シャン・カーン。
そのホヤホヤの台本を翻訳してくれた、小田島さん。
それを手探りで演出してくれた栗山さん。
黄色とブルー、尖った舞台。美術の島さん。
芝居しててちらっと壁みて自分の影にびっくりした。照明の勝柴さん。
稽古場へ立ち入り禁止の柵を越えてたら、知らない間に警備員に疑われていた、音響、秦さん、ごめんなさい。新国立の警備員さん、逃げ足速かった犯人は僕です…、ホントすいません。
まるで普段着、のびのび演技ありがとう。衣装の宇野さん。
もうそのまま、いけるんじゃない?無造作ヘアーありがとう。ヘアメイクの佐藤さん。
ハッスルプレー、演出助手の宮越さん。
プロンプ、プンプン怒った顔もステキよ、山本みやちゃん。
毎日、生のラジオDJしてくれた、伊藤くん。
舞台監督の米倉さんはじめ、演出部の皆さん、そして新国立のスタッフさん。
制作してくれたり、チケット手配してくれたり、忘れ物チェックしてくれた、茂木ちゃん、庭山ちゃん。
ありがとうございました。

そしてそして…
母さん、姉貴。
銀粉蝶さん、中嶋朋子さん。
ほんとに体当たりでした。ぼくの安定しない芝居を、体当たりで受け止めてくれた。
ありがとう。
生の人間がぶつかり合う衝動・現象が毎日、スリリングに繰り広げられました。

やっぱすごいよ、演劇は。これからも はりきります!

おつかれさまでした。
ゆきや